と、岡田斗司夫さんがおっしゃっていた。
1年前、都内の高級ホテルで働く女子大生バイトが有名人の宿泊客をツイッターでレポートして大問題になったことがあった。例えば、このとき、「評価経済社会」的にはどうすればよかったのだろうか?
「彼女はツイッターを閉鎖するのでなく『私はどうすればいいか』皆に意見を求めるべきでした。一方のホテルも彼女を解雇せず、『ちゃんとした社会人に育てる』と宣言すべきでした。だってあそこで解雇したら『スタッフを育てられないホテル』という評価しか残りません。それが『評価経済社会』の防衛力なんです」
もっと大事な防衛力は、「与えられない、与える、与えられた力を実感する」ことかと。
「与えることが美徳」は健全だけれど、実際は、与えることで逆に恨まれることある。
とか。
「与えることが美徳」というより、コントロールすることのほうが重要。
それが「ディフェンス」なんだとおもう。
まず、テレビを消すこと、意図のわからない話を簡単に受け入れないこと。
「貨幣」の定義は複数あるけど、どれを取ったって、まったく「貨幣経済の全面化」などという状態にはなっていない。
たとえば、
貨幣システムは、本来、比較も交換もできない多様な「評価」軸を集約して「交換」可能にしたシステムだ。
美味しい御菓子を作ることと、バグのないWebアプリを作ることは、評価軸が異なるので、本来、比較も交換も出来ない。
それを「金額」に換算する(評価軸を統一する)ことで、比較したり交換したりすることができるようにしたのが、貨幣システムだ。
でも、
「貨幣とは、人間同士のモノのやりとりを、あたかもモノ同士が交換しあっているかのように隠蔽(疎外)するものだ」
でも、「貨幣経済の全面化」などはしていない。
というよりも、「貨幣経済の全面化」という言葉を、「贈与経済の縮小」とか「だから贈与経済の復活」とかと並べることが欺瞞だと。
というのは貧富の差は、「貨幣経済」の問題というより、並列して行われる「贈与経済」によることのほうが大きいから。
「贈与経済」は、ネットワークで「ハブ」となる人に富が集中する制度。
というのは、
1.「贈与」とは「与えられたことにたいするお返し」を「強制する」力
2.その「強制力」は「与えられた人」のなかに発生する。
3.「与えられたお返し」が行われてはじめて「交換」が完結し、その時点ではじめて「相場」が生まれる。だから、「お返し」をする時点では「相場」はわからない。つまり不均等。
4.「与える」レバレッジは∞。お返しをする行為は有限。
だから。
とはいえ、人間は「返報性の原理」という力から逃れられないし、それゆえ「貨幣経済は全面化」という、「返報性の原理」という力から脱して各人が自由にモノの交換を行えるという状態にはならない。
が、「貨幣経済は全面化」したから、「貧富の差が生まれ、カネがカネを生み、原発は稼働し、地球温暖化が進み、ブラック企業が跋扈し 、カジノやカジノまがいのパチンコに人々はのめり込み 消費税が上げられ、年金は下げられ、正規雇用はなくなり、独裁者が日本を支配しようとしていて、草は枯れ、鳥は空を捨て、人は微笑み無くすだろう」というのは、まったくの逆。逆です逆。
「貧富の差が生まれ、カネがカネを生み、原発は稼働し、地球温暖化が進み、ブラック企業が跋扈し 、カジノやカジノまがいのパチンコに人々はのめり込み 消費税が上げられ、年金は下げられ、正規雇用はなくなり、独裁者が日本を支配しようとしていて、草は枯れ、鳥は空を捨て、人は微笑み無くすだろう」
これ全部、「返報性の原理」、ひいては「贈与経済」から来ていますから。
たとえば「ブラック企業が跋扈し」ているのは、「カネのため」ではなく「働くために働いている」から。
なぜ「働くために働くのか」といえば、二宮和也クンが出演した「フリーター家を買う」を見るとわかりやすく、
1.家族関係の中から抜け出せないから
2.カネではなく「働きがいのため」に働きたいから
等価交換じゃないじゃん!「贈与」じゃん!
たとえばなぜ「パチンコ」や「ギャンブル」にみんなのめり込むのか。
のめり込む人が、富裕層では少ないのはなぜか。
1.カネがカネを生むワクワク感。
2.カネが増えるということは、自由が増えるということ。
3.つまり、現在不自由である。
4.その不自由さは、その人が属している社会から生じている。
5.カネはその社会から脱する手段になる……はずだが、実際は「返報性の原理」、社会からの「借りを返さないと」脱するという発想にはならない。
6.だから、社会から要らないものを受け取り(「テレビ番組」とか「着うた」とか「やりがい茶番劇」とか)、それを租庸調で必死に返している、というのが実体
租庸調のどこが「貨幣経済の全面化」なの?
今、実際に流通しているお金のほとんどは、「ストレス解消」と「人並み」のために使われている。あとは、健康。
「人並み」を一番強く受けるのが、子供。だから、子供がいる家庭で、テレビとかが言っている「人並み」を実行しようとすると、とんでもない額の収入が必要になる。
それらの「ストレス解消」と「人並み」は、「与えられたお返し」としてしか生じていない。
「人並み」になりたいのは、「お返しをしたい」からでしょう。家族に。子供に。恩人に。
最初から「低ストレス状態」になれば、カネのためのカネの流通は少なくなるでしょう。
「人並み」を煽る人たちの経済から脱せれれば、カネのためのカネの流通は少なくなるでしょう。
でも、「贈与経済」を言っている人って、「人並み」を煽る人たち、なんだよね。
要するに、これは新しいトレンドでバブルなんだな。
Rubyに触れられたり、サーバを自分でたちあげられたり、ものごとのフレームワークを学べたり、奴隷から解放されたりしたのは、「富」を持っている人たちから与えてもらったから。
それを十分にお返しできていない。
「お返しの仕方がわからない」のはそのとおりだと思う。
ただ、
1.奪うために与えようとする人たち
2.与えられても返さない人たち
もたくさんいて、そういう人の見分けがつくかどうかが生きていく上で死活問題なんだろう。
表題の通り。
「評価経済」の方は岡田さんの文書をきちんと読めていないのでここでは書かない。
ここで書くのは、「贈与経済」のほう。
「贈与経済」は、みんなが大嫌いな「人間関係」から成り立っている。
たとえば、「地方ではお金ではないモノのやり取りがされているから、年収が低くても生きていける」というお話は、その地方では貨幣を介さないでやり取りされるモノが多い、ということ。
「贈与経済」と「貨幣経済」の関係3つ。
1.「貨幣経済」と「贈与経済」は並立する。
2.「贈与経済」は、「貨幣経済」に代わるものとかあとに来るものとかではなく、人類史ではずっと古くから行われていた。「ポトラッチ」とか有名。
3.「贈与」される「モノ」は、あらゆるもの。
「贈与経済」を支える最も重要な力について。
それは、「返報性の原理」。
人間には、「なにかを与えられるとそれ以上のものを与えようとする習慣」がある。
それを「返報性の原理」という。
「贈与経済」は、その「返報性の原理」から成り立つモノのやりとりのこと。
「返報性の原理」について、重要なことは二つ。
1.与えられると、それを与え返そうという「強制力」が生じる。
2.その「強制力」は、あくまで「与えられた側の心のなか」に生じる。
上に上げた返報性の原理のコアは、そのままそっくり「呪い」に当てはまる。
たとえば、
・フリーミレニアムで抜けられなくなる。最初に「与えられている」から。ソーシャルゲームだけではなく、TVだってフリーペーパーだってそう。「与えられた」と体験させることで「借りを返さないと」という意識を生じさせる。これを儲けに持っていくのが「マネタイズ」。
・放射性物質に汚染された地域から逃げようとする妊婦に「自分だけ逃げようとする卑怯者!」という罵りが、当の妊婦に強制力を生じされる理由。
・老親の介護で共死するのは、「与えられた」重みから逃げられないから。
実際には、「返報性の原理」という、みんなが大嫌いな「土着性」とか「DV」とかそういうものから抜け出し、かつ社会を構成するための手段の一つが「貨幣によるモノのやり取り」=「貨幣経済」。
なのに、「貨幣経済は冷たい人間性の体現で、貨幣は貨幣を生み、貧困を生み出すから、贈与経済に戻るべきだ」というのは、要するに「地域コミュニティという土着システムの一部になりなさい」というのと同義。
「贈与経済」礼賛者は、この「返報性の原理」という「人間に働く強制力」を十分に理解した上で発言している。
というか、今の「汚い貨幣経済」って呼ばれているものは、ほとんどが「贈与経済」から生じているんですけれどね。
「与えられた、だから何かを返さなければならない。それ以上のものを」を上手にコントロールする人は、貨幣でもそれ以外でも、「富」を集めることができる(「富」はたぶん、「カネ、ブランド、ファミリー」に帰着すると思う)。
「金が金を生む」という「射幸心」を煽るためには、その人がどういうコミュニティに属しているかが問題で、その人は「カネ」を必要としていて、それは逆に言えば、「金によって贈与経済から抜け出したい」と考えているから。
その人にとって、「社会」は、必要ないものをどんどんと与え、見返りとして大切なもの-時間・価値観・人生-を奪っていく存在。カネがなければ奪われる、というのは、「返報性の原理」の強制力によるもの。
だらだらとTVを流し、その内容はまるまるコマーシャルであることももう感覚が鈍感になってわからなくなり、けれどスーパーに行くと手にとってしまう、「うちもそろそろ」と必要のない「エコ」なものを買おうとする、全部「贈与経済」から来る。「貨幣経済」からは来ない。
今、「金が金を生む社会」のオルタナティブとして「贈与経済」が大事、といっている人は、逆に言えば「返報性の原理」という強制力を上手に使っている人で、これからも使える人でしょう。
みんなが大嫌いな「政治」は、この「返報性の原理」(だけではなく、「影響力の武器」すべて)を徹底的に使い尽くして死闘をくりひろげている場所。
富む人は更に富む。
たぶん「評価経済」が、「行き詰まった貨幣経済による自由を更に拡張する」とするなら、上記に上げたような「贈与経済」をバージョンアップさせたものになっているはず。
岡田斗司夫さんの「ぼくたちの洗脳社会」をざっと読んだが、現象の観察についてはまったくそのとおり。
そして、第3章で
言葉のやりとりというのは、実は意図の押しつけ合いだということが判ります。だいたい誰かに何か話そうと思う心の底には、その誰かになにかさせたいとか、何か思わせたいという気持ちがあるからなのです。
こう考えれば、話しかけること、つまりコミュニケーションはすべて意図の強制、洗脳を目的としているといえます。すべてのコミュニケーションとは洗脳行為でしかありえないのです。
と宣言してからは、ほぼ岡田さんの結論に持っていくためのお話になってしまっているので、そこからはまさに「贈与経済」。
個々人の戦略として、自分に関係する人から与えられた影響をきちんと見つめなおして、どんな強制力が働いているかを考えないと、なんだかわからないうちに人生を家族や知り合いや同僚や上司や国やマスコミや詐欺師やもろもろの人たちにめちゃくちゃにされて終わる。
(今も進行中だということに目を背けると終わる)
「地獄への道は、善意で舗装されている」
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告
5/15
理学部物理学教室 浅川
「科学哲学第二」のレポートは、5/31 までに1号館1階の浅川の
レターボックスに提出すること。このレポートを提出しない学生
には、単位は出ません。
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告
6/3
理学部物理学教室 浅川
期限を過ぎて提出されたレポートは、いかなる理由があろうとも
受けつけません。締切を過ぎてもまだ私のレターボックスに「科
学哲学第二」のレポートを入れる者が居ますが、5/31 の午後
5:00 以降に投函されたレポートは全て破棄しました。
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告
6/4
理学部物理学教室 浅川
「5/31 まで」と書いたら「5/31 の午後 5:00 まで」の意味です。
こんなことは社会常識です。
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告
6/5
理学部物理学教室 浅川
他の教官が午後 12:00 まで受けつけていても、関係ありません。
反例を幾つ挙げようと、定量的に述べなければ意味がありません。
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告
6/8
理学部物理学教室 浅川
なぜその熱意を使い、もっと早くにレポートを作成しないのか理
解に苦しみますが、とりあえず午後 12:00 まで受けつける教官が
過半数であることは理解しました。よって、6/15 の午後 12:00
まで「科学哲学第二」のレポート提出期限を延長します。
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告
6/10
理学部物理学教室 浅川
「6/15 午後 12:00 まで」ではなく「6/16 に浅川がレターボック
スを開けるまで」ではないか、との意見がありましたが、これら
は全く違います。必ず 6/15 中に提出するように。
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告
6/12
理学部物理学教室 浅川
私のレターボックスに猫の死骸を入れたのは誰ですか。
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告
6/13
理学部物理学教室 浅川
「私がレターボックスを開けた瞬間に波動関数が収束し、内部状
態が定まるので、レターボックスを開けるまではレポートが提出
されたかどうか分からない」と主張したいことは分かりました。
今回は、提出場所を1号館302の浅川研究室前のレポート提出
用ボックスにします。この箱は、6/15 午後 12:00 にシュレッダー
へと自動的に切り換わるので、シュレーディンガーの猫の問題は
発生しません。
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告
6/16
理学部物理学教室 浅川
いいかげんにしなさい。午後 12:00 は「グリニッジ標準時」では
なく「日本標準時」です。これは常識以前の問題です。
普段は日本時間で生活しているくせに、レポート提出時だけグリ
ニッジ時間を求めるなど言語道断です。
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告
6/18
理学部物理学教室 浅川
信じ難いことですが、「科学哲学第二」を受講する学生の過半数
がグリニッジ標準時で生活していることが分かりました。
夜型にも程があるとは思いますが、とりあえずレポートの提出は
6/30 の午後 12:00 GMT まで待ちます。
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告
6/22
理学部物理学教室 浅川
時間の連続性についての疑義は受けつけません。どうやらベルグソン
の時間論を曲解している者がいるようですが、主観的時間がどうあれ、
7/1 の後に 6/30 が来ることはありません。
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「それで、確かに君は 6/30 中にレポートを提出したというんだね?」
浅川助教授は皮肉っぽい口調で生徒に尋ねた。
「ええ、ギリギリでした」
まだ若い学生が無邪気に答える。
「だが、君のレポートは私の手元には無い。君は時間を間違えたのでは
ないかな?」
「いいえ、日に 0.1 秒も狂わない、正確な電波時計を使っていますから。
先生のレポートボックスこそ、時刻を間違えたんじゃないですか?」
「冗談だろう。GPS 補正で ±5 ミリ秒の精度で合わせてある」
「それで、24:00 GMT ちょうどにシュレッダーに切り換わるわけですね?」
「そうだ」
「うーーん。あ、そうだ。多分うるう秒の差ですね」
「うるう秒?」
「ええ。グリニッジ標準時、正確には協定世界時と言いますが、
これは太陽の公転周期から計算する平均太陽時と違い、原子時計によって
計られることになっています。この協定世界時と実際の天文時刻との
差を縮めるため、12/31 や 6/30 などの午後 24:00:00 に、閏年の2月29日
と同様の 1 秒を挿入することがあるんです。いやあ、このうるう秒の
間に僕はレポートを提出して、先生のシュレッダーが動作したんですね。
困っちゃうなあ。学生のレポートはもっと大切に扱ってくださいよ」
学生は目をキラキラさせながら答える。
科学哲学第二のレポートは、まだ集まりそうにない。
助教授の悩み | PBR | Qetic Blog (via soulsphere)
(via koshian)
車の名義変更手続きに必要な書類は以下の通りです。
現在のシステム
・毎日のWill Doリスト
・グーグルカレンダー
・ToDoリスト
・Projectリスト
問題点
・分散されてしまって、全部に目を通すのが大変
・なにから始めればいいのか、どこまでやればいいのかがわからないので疲れが先に来てしまう
・時間ごとになにをするかがはっきりしない(たぶんこういうフロー情報はTwitterが合っているんだろう)
・「とにかくなんでもメモ」を、出先でも共有したいのでEvernoteで書くようにしているが、Evernoteは一覧性が弱く、テキストエディターとして書きにくい(なぜだかわからないが)。
・頭の中身を全部出す・適宜出す、ということが出来ていない→不安感が消えない
・毎日Will Doリストを書くときに、前の日のWill Doリストを引き継ぐと膨大になるので、一旦リセットすると今度は以前の情報が消える
・Will Doリストなのに、その日にやり切ることになっていない。また、テキストなので週間予定などが落とせない。→最初から日付が入っている紙copiはすばらしいが、ローカル環境なのが痛い。→基本的にはテキストファイルなので、全部Dropboxでsyncできないか?
・続き。一覧性は欲しいが、エクセルだと見にくい。Google Calendarに全部書くと見にくい。手書きの手帳はあとがきがしにくい。難しい。
・ネットとの同期と、使いやすいツールがリンク出来ていない。
「戦争は終わったんだ。商売をするには、みんな仲良くやっていかなきゃならん。話してみれば、なかなか物分りのいい連中だぞ。自分らと違うところなんて、これっぽっちもない」
自分らと違うところなんて、これっぽっちもない。
その言葉がぼくを貫いた。ミンガ村に突入する前、たくさんのホアの村々に攻撃をしかける前、この男は叫んでいた。奴らは俺たちとは違う、奴らは人間じゃない、だから殺して殺して殺しまくれ。そうぼくらのケツを叩いて、連中の弾幕のなかへ突撃させていった。
「でも、ぼくらはホアと戦ってきたじゃないか。連中が、ぼくらの生まれる前からどんなひどいことをしてきたか、あんたは教えてくれたじゃないか」
元上官は聞き分けのない子供を扱うかのようにかぶりを振って、
「それはな、戦うために必要だったからだ」
「嘘だったってことなの」
元上官はうんざりしたように眉をしかめた。
「嘘ではない。だがな、お前が教えられてきたのは、戦争が始まってからSDAがまとめた歴史ではあるんだ。戦うには歴史が必要だ。俺たちが戦う拠り所となり、奴らと俺らとを隔てるために必要な歴史がな」
「戦争のために嘘の歴史を作ったんだろ」
ぼくは怒鳴った。この連中は、僕に誰それを殺せと命令してきた大人たちは、僕らを動かすために嘘の歴史をでっちあげたんだ。連中が先に手を出した、だの、連中は痛みを知らないから残虐だ、だの、そういったたわごとを僕らの耳に吹き込んで、友だちがばたばた倒れていくのを見ていたんだ。
「だから嘘ではないと言っているだろうが」
元上官は声を荒らげてから、両の指先でまぶたを揉んで、
「ただ、戦いが始まるまではだれも歴史なんて関心がなかった。お互いがだ。自分たちの民族がどんな歴史を背負っているかなんて、戦争が始まる前はただのひとりだって気にしちゃいなかったんだ。歴史を作ったら、ゼマはホアを憎みはじめた。ホアも同じさ。歴史ってのはな、戦争のために立ち上げられる、ただそれだけのもんなんだ。歴史があるから戦争が起きるんじゃないぞ。戦争を起こすために歴史が必要なんだ。奴らと俺たちは違っていて、奴らと戦わなきゃいかんだけの理由をひねり出すためにな。歴史だけじゃないぞ。国だってそうだ。ホアだのゼマだのといった部族だってそうだ。いや、そもそもだな、俺とかお前とかいう区別だって、戦争のためにあるんだ。殺し『合う』ためには、お前と俺とが別々じゃなきゃできんからな。『俺』と『お前』が憎みあうから戦争が起きるんじゃない。戦争するために『俺』なんてものは存在するんだ」
「ごちゃごちゃ難しいことを言ってごまかすなよ」僕はこの男のたわ言をさえぎるように大声を張り上げる。……
「わかっているよ、わかっているさ。だから、あんたが言っているのは嘘の歴史をでっちあげて、僕らを殺しあわせたってことなんだろ」
……
「ああそうだ。そういうことにしといてやる」元上官は心底うんざりしたようすで「だからな、もうホアの連中を見てブチ切れたり殴りかかったりイラついたりするのはやめろ。俺を責めてくれてもかまわん。だがな、連中と俺らはしゃべっている言葉もいっしょだし、食いもんだってかわらん。顔立ちがちょっとばかり違っているだけだ。だから、俺たちが教え込んだ全てが嘘っぱちだったと思えば、連中を憎む必要なんてどこにもないだろう。それよりも重要なのはな、新しくなったこの国で生き延びていくことだ。手に手を取りあってな」
必要。あまりに馬鹿げている元上官の言葉に、ぼくは唖然として立ちすくんだ。
この男は「必要だから」ぼくらがホアを憎んできたと思っているのだろうか。阿呆だ。ぼくはそうすることしかできなかったから、憎んできただけだ。家族を、母さんを妹を父さんを殺されて、そういうふうに生きるしかなかったからそうしてきただけだ。必要の有無が顔を出すようなもんじゃない。「必要」で片づくなら、僕はとっくにそうしているだろう。
「伊藤計劃記録」p.37-39
そりゃ、みんな平和がほしい。ぼくだって戦いたくなんかぜんぜんない。でも、白人がぼくらのところにやってきて、あなたの妹をめちゃくちゃにして殺した連中を赦せば平和がやってきますよ、なんて言われればこう言うに決まっている。じょおおおおおだんじゃない、って。
同p43
歴史は虚構だが、全員が虚構だと思っているわけではないし、実際にその虚構で傷つき、親しい人間を殺されたものにとっては、歴史は「ほんとう」でなければつじつまが合わない。
「ベタとメタ」を自由に行き来する、なんてことができるのは、豊かな一部の人間の特権だろう。
そもそも、差異(ディファレンス)を知るためには、別の「ベタ」な状態を知っており経験していることが前提となるが、そんなものがなければベタもメタもない。
「イノベーションの成否を分けるのは、単調な骨折り仕事をマスターできるかどうかだ。創造のプロセスは通常は輝くようなアイディアから始まる。このすばらしいアイディアに見込みがあれば、次にはビジネスの見地からみて見て進める価値があるかどうかを決定する。このあたりは心踊る部分だ。知的にはおそらく最も刺激的であろうが、同時に比較的容易な部分でもある。
続いて、そのアイディアを実行段階に引き下ろすという現実的な仕事がくる。これがイノベーションの中で最も単調な部分であり、人々に対するプレッシャーや鼓舞のほとんどはここで必要になる。新しいアイディアについての当初の興奮を思えばどんなエネルギーでも生み出せると考えるかもしれないが、その後そのアイディアを反復生産可能な製品に転化しようとする過程で、人々は穴蔵に潜り込んだような仕事を長時間続けることになる。電話とファックスを使うのはここだ。技術陣と上級幹部との間で検討会議を持つのもこのときである。また最高経営責任者としては、製造コスト、販売、あるいは品質と全く同様に、新製品や新プロセスの開発にも大きな関心を持っていることを組織全体に対して表明して見せる時でもある。
(邦訳「DIAMONDハーバードビジネス」1990年7月号)
p75-76
しびれた!